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いまのはなし5

 ゴールデンウィークが終わりに近づいている。ゴールデンウィークという名称からゴールデンウィークは毎日がゴールデンなものなのかと思っていたが、今年はそうでもなかった。去年は友達と旅行にいったりしたわけであるが、今年はその彼も就活で忙しいとあってなにも起こらなかったというわけである。何も起こらなければ自分で何かを起こせばいいのでは、というのは至極まっとうな意見であるが、何かを起こす気もとくになかったのはこのゴールデンウィークがゴールデンではなかった理由のひとつであろう。なにかしなければ!という思いはあるものの何をすればよいのか思いつかないのがこうした比較的長い休暇の問題である。賢い人間はあらかじめこの休暇を見越して予定を立てておくのであるが、なんのプランニングもできなかったことにはひとつ後悔がある。考えてみれば、ゴールデンウィークは年に一回しかないわけで、大体80程度まで生きると考えてもなんと二桁台しか消費できるゴールデンウィークは残されていないのである。そのうちの一回をこうしてそのへんの公園のベンチで寝て過ごしてしまった影響はこれまた大きい。

 いや、大きいかどうかはさておきにしてもあえて考えてみればひまであるが故にいまこうしてブログを書いている、というのはあながち悪いものではない。基本的に毎回テーマを持ってブログをかいているわけではなく、特に何もすることがないからちょっとブログの記事でもかくか〜くらいの気持ち・モチベーションでここまでの行を埋めているのである。他の人がどういうモチベーションでブログを書いているのかは分からないが、おそらくアフィリエイト、ブロガーとの交流、日々の記録あたりではないのか。それはそれとしてとてもすばらしい理由である。もし自分の記事も多くの人によまれてアフィリエイト収入が入ってくるレベルになれば、それはそれは大したものである。

 とはいえ、その種のお金を生み出す系の記事を書くには実は少なからずスタミナを使うような気がする。いや、本当に才能のある人間は息を吐くようにお金になる記事を書き出すことができるに違いない。だが、それはまさに才能のなせるわざであって、普通のひと(いや、自分が普通かどうかはこの際言及しないとしても)はある程度の下調べやらなにやらをこなしてようやくブクマがつくかつかないか程度のものなのではないか(ここまで書いても、結局最終的にはただの推測にしかならないわけであるが)それはしかし努力としてお金とは違うタイプの貯金を蓄えることができると考えればまあポジティブであるが、いずれにしても何を言いたいかというと時間と手間をかけずには読ませる記事を書くのはまだ僕には難しいということである。

 いや、とはいえ自分だけがこうであって他人が違うのではないかというアイデアはあながち間違ってはいない。自分は比較的注意が散漫な傾向があって、むしろその散漫さが実は好きなのである。事実これに関しては社会的な評価の別れるところではあるが、次から次へと矢継ぎ早に様々な話題に触れては次へ触れては次へと移り変わっていくのは非常にどことなく面白さがある。ニコルソン・ベイカーの小説などはまさにこのタイプを髣髴とさせるもので、ひとりに男の思考が物語のなかで延々と垂れ流されるのが最高である。むろん普段の生活の中ではちゃんとコンテキストを考えてまともな思考をしているわけであるが、プライベートでの脳内はまったくはちゃめちゃである。とくにひとりで散歩をしているときの思考の流れ方はさしずめ濁流にも似たものである。むろんいまさに書いているこの文章も実際なにもさきのことを考えずにダラダラを書いている泥水のような文章であるが、これもまた非常に気分がよい。最初の方に書いた文章でも一度述べたことではあるが、誰かに読まれたり評価されたりするための文章を書くのは好かなからずスタミナを必要とするのである。言葉遣いやら文法やら文章構成やら、考えるだけでもう指の動きは千分の一以下に落ちる。これはひとつプログラミングと設計にも似ているのではないか。よしやるぞと意気込んでプログラミングを始めるまえに、まず一歩下がって冷静に設計を行うのは何よりも大事である。これが最終的にスケールする予定であれば、ここに時間を割かない理由はない(いや、予定外のスケーリングが発生するのであればなおさら重要である)簡単なチュートリアル的なコーディングやら練習ならこの限りではないが、それでも普段からこのタイプの思考を身に着けていることによってスタミナの消費量の軽減、ないしMAXを増やすことに繋がるかもしれない。たぶん。