いまのはなし2

 さて前回に引き続き飯のはなしを続けようかと思ったけれど、よくよく考えるとそんなに話の種になるほどその話題には思い入れはなかったのである。飯がメンタル的に大事だというはなしには大いに同意(というか自分で言った)が、それ以上でも以下でもない。なのでこの話題にはたぶんこれ以上ひろがりはないと思う。いまふと思いだしたが自分が二足持ってきた靴のうち、友達から買ったアドミラルのハイカットシューズが今日の帰りの雨でグッチャグチャになってしまっている。このシューズを彼から安価で譲り受けたのは本当に前の話だった気がする。おそらく順当に行けば今の自分は大学4年生だがいまは休学の身なので、とすればこのはなしは3年前に遡ることになるはずである。さてその当時は新品だったシューズも流石に3年も経てば穴の1つや2つも開くわけで、それがよりにもよって踵の部分なだけにいかんともしがたい。摩擦で踵に穴が空くとその部分から水たまりの水が真っ先に浸水してきて、足の中は大洪水である。これが非常にたまったものではない。誰かが女性の生理は水浸しになった靴下と靴に一日中足を突っ込んでいるようなもの、という表現をしたがそう考えるといかに彼女らが常日頃からつらみを味わっているのかが推し量られてある種の尊敬にもなるというものである。果てには鼻の穴からスイカを出すという苦行さえ強いられるとすれば地獄の閻魔も真っ青である。

 今週はなぜかこうしてブログの記事をやたらと更新しているあたりになにか思うことがあるのではないかという気がしなくもない。それは半分正解、半分不正解である。実際にはなにか書きたいことがあってブログを更新しているわけではなく、とりあえずブログを書くことによって気が紛らわされるようなある種の精神的平穏を感じるがゆえにこうしてダラダラとブログを更新しているのである。目的へ向かうブログの記事ではなく記事自体が目的である。難しい。いや、そんなに難しくはない。ただこうして自分がこれだ!と思うような言葉をテキトウに並べ続けているだけだ。それだけでこうして文章が出来上がっていくのである。ただまあもちろん誰かに何かを伝えるメッセージ性のある文章を書くにはいわゆる起承転結を意識した文章にしなければいけないので、こんなチラ裏的文章とはまったくもって異なるアタマのいい構造になるだろう。

 ブログと言えば自分のインターンさきでもいわゆるちょっとしたブランディングのためのブログを運営をしていて、それはもう比較的そこら辺の小さなブログとくらべても圧倒的なトラフィックを抱えるサイトである。つい最近インターンを終えて帰ってしまった「先輩」にあたるインターン生(こちらにきてから先輩の概念というのが少し難しくなった気がする。というのも年上はたくさんいるが皆別に普通の話し英語でなんとも思わない、というのが至極当たり前の世界だからである)がいたのだが、彼は恐ろしいスピードでブログの記事を書きまくっていた。そもそもグロースハック云々の前にブログの記事の内容を良くしていくのがサイコウのグロースハックなわけだが、彼自身そのあたりの技術はそれまでブログの執筆を行っていたひとの記事から特徴的な言葉遣いなりフレージングなりを完璧にコピーしていたらしい。これが良いのか悪いのか、自分のスタイルを持つことが良いのか悪いのか、というはなしはそれこそ現代の若者には自分の意志がない云々という言われがちな私達(あるいは僕だけ)にとってはちょっと大事な話かもしれないが、これはおそらくその場のシチュエーションに大いに依存する。誰もが自分のスタイルはこれだぜ、という感じで我流のあれこれをやっていてはカオスもたいがいである。話を戻すとまず自分のいまの会社(あるいは我が社と言って良いのか)のブログの記事はイノベーションだとかテクノロジーのような記事を積極的に扱うものだったので、そういう記事にはこういう文体、みたいな暗黙知があったのかもしれない。そもそも会社の一番偉い人が頻繁に記事を更新して…いや頻繁にではないけれど比較的多く記事を書いていて、少なくとも執筆者としてくくればナンバーワンなのである。なので読者的にはそうしたパターン化された文章を読むことによって安心感が生まれているのかもしれない、推測までに。