オチのあるエッセイは難しい?

 エッセイを書こうと意気込んでいたけれど、ふと自分のこれまでのイベントってどれもこれも大したオチがないんじゃないか?ということに気がついた。いや、そもそもエッセイにキレイな起承転結なんて求めてないし、わりとありのままを書くのがそれこそエッセイなんだろうけど、とはいえ巷にあふれるいわゆるエッセイってのは結構読んでてストーリー的にも出来上がっているものが多いように思えたから。たぶんこれは文章を書くのが上手い人のエッセイを多く読みすぎているのかもしれない(そんなに最近本読んでないけど。)

 エッセイとはまた関係ないけれど、小学校2年生のころから卒業までわりと律儀に日記を毎夜つけていた。なんで日記を書き始めようと思ったのかはあんまり詳しく覚えてない。そのとき家にはドラえもんのマンガが何冊かあって、うちは誰もマンガをそんなに読む家じゃないのでそもそもドラえもんのマンガがある事自体が珍しいのだけれど、なぜかドラえもんだけはあった。その中のストーリーで、のび太がもらったお年玉でお小遣い帳をつけている描写が何回かあって、バカポジションのキャラクターなのにちゃんとこういう記録はつけてるんだなーと関心したのが、わずかながらに覚えている日記を始めたきっかけだったと思う。本当になんでこれが日記に結びつくのか自分でも全然わからない。ただ、メモ帳になにかをカリカリと書いている描写を見て、よっしゃおれもやってみよ!みたいな感じで始めたんだと思う。

 結局小学校六年間の間で日記は約三冊くらい書いた。途中ハリー・ポッターが映画化されたかなにかでハリー・ポッターに出てくる魔法使いの本(?)みたいな分厚い表紙の付いている本に憧れて二冊めはそういう荘厳な雰囲気のする日記帳を渋谷にある文房具屋で買ってもらった。ただ内容に関してはかなり後半の方が雑になってきていて、もはや人間の読める文字ではないミミズ体で書かれた日が多い。ひらがなを使わずに全部漢字で書いてみたり、全部カタカナで宇宙人みたいに書いていたときもあった。中学年くらいからは鉛筆を使うのをやめて、なぜかボールペンで日記を付けていた。鉛筆といえばうちの小学校も他のとこでよくあったように鉛筆以外の筆記用具を授業で使うのが禁止されていて、授業でシャーペンを使って没収を食らうやつが何人かいた。学校ではシャーペンを使えない分家の日記では存分にシャーペンとボールペンをつかってやるぞという意気込みだったのかもしれない。

 ただそれだけ数年間継続して文章を書き続けていた割には、あんまり作文の能力は高くなかった。唯一二年生のときにバリアフリーに関する調べ学習で書いた作文がナントカという賞をもらったくらい。文章を書くこと自体は好きだったけれど、それが他人に評価されてその人の納得の行くように書かないといけないということを考えるととたんになんにもかけなくなることがあった。それでも六年生のときの卒業文集は結構いろんなことを書いた。今はもう何を書いたか覚えていないけれど、卒業文集は別に理論的でなくたって説得力がなくたって自分が書きたいことを書くのが目的なのでそれはそれで楽しんで文章を書いたからかもしれない。それこそある意味卒業文集は六年間のエッセイみたいな感じで書いていたので、たぶん今読んだら面白い。でもどこにあるかわからないので後で探してみよう。

 ちなみに今この文章を書きながら流しているのは相対性理論で、ちょうどこの段落に入ったところで「気になるあの娘」が流れ始めた。小学校のときの音楽は本当にサイアクな体験で、歌をうたうのも鍵盤ハーモニカも縦笛も全部きらいだった。鍵盤ハーモニカの授業は低学年の間しかなくて、先生が前で吹いているのを真似しながらみんなでピーピー鍵盤ハーモニカについているザクのパイプみたいなのを口に突っ込んで呼吸するのがセオリーだった。基本的に僕はその授業でまともに吹いていることがあんまりなくて、小学校入学のときにかわされる数学の教材(?)に付属しているサイコロを転がして遊んでいたのをよく覚えている。ただ決してサイコロを幼少時代から数学的に遊んでいたというわけではなくて、サイコロの「1」の部分からレーザービームがでるドローン(今思えば結構先進的な発想だったのかも)に見立てて手で飛ばしていた。サイコロは、それはもういろんな遊びができて、ただ転がして数字を当てる以上にいろんなことをやっていたと思う。だって音楽の授業中の記憶はサイコロしかないから。こんな小学生だったのに中学校でサッカーに飽きてギターを初めて、高・大ではわりと音楽好きという扱いで自分を売り出していたと思うと、やっぱり人って変わるものだなと思わざるをえない。というか、単に小学校の音楽の授業がつまんなすぎただけなのかもしれないが。